東北歴遊記~三日目~

東北歴遊の旅、最終日です。

前日時間切れであとにした米沢城跡に向かいます。

昨日は松岬神社や稽照殿などに行きましたが、メインを楽しみに残しておきました。

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上杉神社です。

ここはご存知上杉謙信公を祀っている神社ですね。
好きな方は不識庵公などと呼んだりもします。

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上杉謙信公は、そもそもは越後守護代で長尾景虎(ながお かげとら)と名乗っていました。
北条に領地を追われた関東管領・上杉氏を救援し、関東を平定した功などにより、上杉氏より名跡と関東管領の職を譲り受け、以後上杉の姓を名乗るようになりました。
越後を本拠に、関東では小田原の北条氏と、信濃では甲府武田氏と対立し、のちには北陸では中央を掌握した織田氏とも戦うという、まさに八面六臂の働きをしていましたが、突然49歳の若さで病没しました。

お酒が大好きで、死因もお酒による脳溢血だったという説が濃厚です。
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49年は一睡の夢、一期の栄華は一杯の酒。

義のために駆け抜けた、欲のない公らしい詩です。


後を継いだ上杉景勝公は豊臣氏に降り、本拠地を越後春日山から会津に移封させられ、さらに関ヶ原で徳川氏に敵対したために、領内の家老・直江氏の領地であった米沢に移され、領地を大幅に削られてしまいます。
徳川氏に敵対したのは、豊臣氏への義でしょうか。

領地を変える度に、瓶に入れられ漆で密封された謙信公の遺骸も移され、家臣たちの手によって祀られてきました。
それが上杉神社となって現代まで敬われているのです。

上杉家は、その後の戊辰戦争でも会津保科氏への義理から、新政府軍に逆らい奥羽列藩同盟に名を連ねています。

義の為に戦う家風なのでしょう。


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戦に明け暮れた謙信公は、とても静かな地に眠っています。


当店の上杉謙信公鎧につきましては下記をご参照下さい。
過去記事参照:http://yoroinokozando.blog65.fc2.com/blog-entry-42.html
[ 2010/08/26 15:12 ] 見聞録!! | TB(0) | CM(2)

こんにちわ♪
蝉の抜け殻雰囲気あっていいですね^^v
[ 2010/08/27 14:52 ] [ 編集 ]

ありがとうございます。

asayan.org様
鎧の光山堂ウェブログ管理人でございます。

お褒めに預かり光栄でございます。
撮影は当店社主・高山でございます。

これからも当店ブログをよろしくお願い致します。
[ 2010/09/02 08:27 ] [ 編集 ]

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