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浜松は出世城なり初松魚!!

徳川家康公ゆかりの地、浜松を訪れました。
家康公
いい天気でした!!
前の日の晩少し無理をしてしまい。。。。少々寝たい・・・けど
絶好の行楽日和でした

浜松城です。
浜松城

迫る武田軍に布を張り橋と見せかけて崖に落とした犀ヶ崖の古戦場もあり

家康公を守るため殿を務めた本多肥後守忠真(忠勝の叔父)の碑や

家康の命を身代わりとなって救った夏目次郎左衛門吉信らの碑も建っている。

逃げる途中に八幡神社の洞穴に隠れ馬の白尾が出ていると

教えた村人の白尾の名字を与えたとか

身近に白尾さんがいた場合子孫かも知れませんね・・・周りを見渡してください。

犀ヶ原では今でも供養の為の盆踊りなどが執り行われているそうです。

浜松4
浜松城の石垣は野面積みと呼ばれる自然の石を

積み上げていき接合部もほとんど加工していない工法です。

今から424年前に浜松城二代目城主堀尾吉晴公の

時代に築かれた物と言われています。


野面積みは、外見は粗雑で崩れやすそうに見えますが

奥に深い構造で排水性も良く耐久性が良いと言われています。

現在のお城は建替えていますがほぼ当時の面影を残しているようです。
野面積

浜松城は、足掛け17年に渡り徳川氏の本拠地として栄えました。

家康公の最大の難戦であった三方ヶ原の戦いで散々な目に逢い逃げ帰り 

逃げ帰る途中、慌てて鎧を脱ぎ立てかけたと言われる鎧かけの松。
鎧掛の松3

しかし、この三方ヶ原の戦が家康公に大きな影響を与えたと言われていますね。

脱糞(大敗)した自分の姿を戒めとして今では有名な肖像画を残しています。
家康
岡崎城の巻より

それから家康公は武田軍の強さを見て取り、良い所を大いに学び

どんどん勢力を広げていったのです。

浜松城は、徳川270年の礎を築いた土地であり

正に「出世城」と呼ばれるにふさわしい城ではないでしょうか(^o^)/

帰りは海老名の手前から渋滞にあってしまいました((+_+))


 

[ 2014/12/04 15:53 ] 見聞録!! | TB(0) | CM(0)

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