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松戸市 戸定邸・旧徳川昭武庭園

明治時代の徳川家の住まいである戸定邸に行ってみました。

光山堂のある亀有から二駅先の松戸から徒歩で10分の場所にあります。


戸定邸①

戸定邸は当時の建物がほぼ完全に残っているそうです。

戸定邸④

純和風、木造平屋一部二階建で部屋数は23にも及びます。

こちらの邸宅を立てたのは徳川最後の将軍、徳川慶喜公の弟である

水戸藩主徳川斉昭公の18男 徳川昭武氏です。

次期将軍の有力候補でしたが水戸藩主になった時には幕府はなくなり

幻の将軍となったお方です。

戸定邸⑨  


戸定邸の座敷棟の南と西には芝生の庭が広がっています。

戸定邸⑥   戸定邸⑪

邸内を見てみましょう。

戸定邸⑤   戸定邸⑩

なんと!雨戸が90枚以上あり3人の職員の方が

朝夕手分けして開け閉めしているそうです!!

湯殿(^o^)/
戸定邸⑧

金庫(◎_◎;)  何が入っていたのでしょう??
戸定邸②  戸定邸③

昭武氏はパリ留学後天皇から定期的に拝謁を賜る

麝香間祗候(じゃこうのましこう)となり29歳で隠居。

華やかさを求めず実質を重んじた彼の生涯は

その美学が投影された建物や庭園、

そして趣味の写真など数多くの文化財を残しました。

戸定邸⑦



東京近辺のお散歩コースに加えてみたら如何でしょうか。

            FUMIE

[ 2018/10/28 17:23 ] 見聞録!! | TB(0) | CM(0)

天下分け目の関ケ原。

前から訪ねてみたかった
関ケ原に行って来ました。
その地は今から418年前に全国の大名たちが
天下分け目の決戦を繰り広げたとは思えない
清々しい青空の広がる長閑な場所でした。

開戦地②

東軍・井伊直政・福島正則隊が西軍宇喜多秀家の明石掃部と
衝突したのを皮切りに合戦の火ぶたが切られた開戦地。
開戦地③

石田三成隊が陣を構えた笹尾山。
敵の侵入を防ぐための竹矢来がが二重に張られています。
笹尾山②

石田三成隊の先鋒として陣を構える島左近隊。
島左近

笹尾山を登って行くと
笹尾山③

この展望!
関ケ原すべてを見渡せる陣所です。
さすが治部少輔。。。ここまでは西軍が有利だったんですけどね。
笹尾山

笹尾山の真下に広がる決戦地。

決戦地


最初に陣を置いた桃配山から戦況を見極めるために
笹尾山から程近い所に陣を移した徳川家康公。
家康最後の陣③

西軍の小早川秀秋隊が東軍に寝返ったのを見て
脇坂隊・朽木隊・小川隊・赤座隊も東軍に寝返り
西軍は総崩れ。東軍の圧勝となり
覇者となった家康公の床几場で首実検も行われました。
家康床几場 ph_702.jpg



東西合わせて20万人近い全国の大名がここに集結し
天下を分けて壮絶な戦いを繰り広げた関ケ原は
日本の気候もここを境に変わるようですが
文化・味付け等も日本の境界になっているようです。

西軍    東軍
昆布だし    鰹だし
丸餅       角餅
青ネギ       白ネギ
カレー牛肉       カレー豚肉
鰻腹開き       鰻背開き
豚まん       肉まん
マクド      マック
エスカレーター右      エスカレーター左


今回は東京を朝早く出発したのですが関ケ原に着いたのが
午後になってしまい半日しか見て回れませんでした。
次回はこれら文化の違いも確かめつつ
関ケ原周辺をゆっくり歩いてみたいと思います。

             FUMIE




















[ 2018/08/25 16:46 ] 見聞録!! | TB(0) | CM(0)

足利・鑁阿寺



室町幕府を開いた足利氏の発祥の地である栃木県足利市。

足利学校の隣に建っている国宝の鑁阿寺をご存知でしょうか。

鑁阿寺は足利氏の邸宅跡に建つお寺ですが

濠に囲まれていてまるで城郭のようです。

それもそのはず鑁阿寺はお寺の顔を持つお城なのです(*^_^*)

日本の名城100選にも入っているのですよ!!
鑁阿寺8

鑁阿寺土塁
 


楼門は足利幕府十三代将軍足利義輝が再建したものです。
鑁阿寺5       楼門・太鼓橋

足利氏邸宅跡


現存の本堂は足利尊氏の父足利貞氏が再建したもので鎌倉時代のものです。
平成25年に国宝に指定されました。
鑁阿寺

鑁阿寺9

禅宗様式の本堂は大変立派なもので見ごたえ十分です。

屋根     鑁阿寺国宝説明文
鎌倉時代に禅宗と共に中国から伝わった禅宗様という
建築工法で組まれている屋根の組物の細工はずっと眺めていたいほどでした。

鐘楼説明文     鑁阿寺鐘楼


多宝塔
鑁阿寺2

カモがお濠で優雅に泳ぐ平和な世界が

末永く続く事を尊氏公も願っているはずですよ。

何だか物騒な世に変わりつつある事を懸念しているでしょう。
鑁阿寺7      足利尊氏



鑁阿寺4 

東京から2時間位で行ける所なのでお勧めです。

隣は足利学校、すぐ近くには犬伏の新町薬師堂もあり

歴史好きには楽しめる散策コースです。

毎年行われる 【節分鎧年越】 も 見てみたい と思っています。

真冬の夕方からなので根性を入れて見に行かないと。。。。(*´ω`)┛

古印最中古印最中3  

追記
先日古印最中を頂き

足利・鑁阿寺を訪ねた事を思い出し記事にまとめました(笑)

あんこたっぷりで美味しゅうございました。

by Fumie

 
[ 2018/05/10 13:28 ] 見聞録!! | TB(0) | CM(0)

白鷺のごとき甦る姫路城!!

昨年平成の修理が終わった

姫路城を訪れました。

白鷺城の名のごとく美しさが甦りました。

完成直後、白過ぎるなんて言われていたけどそんなでもない感じ。。。かな?

IMG_3502.jpg


姫路城の美しさの象徴でもある漆喰壁。

消石灰、貝灰、すさ(つなぎ材料)、海藻などの伝統的な材料で

仕上げる工法でその厚さはなんと3cmもあるそうです。

さすが日本の職人さん。素晴らしい!!

屋根瓦の継ぎ目にも特殊な漆喰が使われています。

それぞれの職人さんが最高の技術で作り上げているんです。

IMG_3479.jpg

大天守から長局(百閒廊下)まで見下ろせます。

大迫力!!

上から見ても長いけれど平面図で見るともっと長い((((;゚Д゚)))))))

IMG_3657.jpg
(姫路城パンフレットより)


姫路城は歴代城主が数多いので

黒田孝高(官兵衛)羽柴秀吉、池田輝政、本田忠政。。。等々

軒丸瓦の家紋も色々で。。。これもまた面白い(-ω-)/
IMG_0359.jpg


関ケ原合戦後に城主になった池田輝政公が

城内拡張工事を施し

今のような五層の天守閣の形にしたそうです。

みんなの家紋を付けて上げるなんてなんて懐が深いお方!!

姫路城⑥





下の画像は羽柴秀吉時代に作られた油壁です。

高さの違う塀に挟まれる形で残っています。

油壁ですけど油は使っていませんよ(笑)

色が油みたいなので油壁と言われたそうです。

赤土粘土と砂利、米の研ぎ汁で固めていて強度があり

鉄砲の玉もはじき返したと言われています。


姫路城⑫    姫路城⑭
油壁は白い漆喰が塗られていませんが度重なる火災でも類焼を免れています。

その下の石垣も秀吉時代の物です。

現代の技術と昔の技術が相合わさって生まれ変わった

白鷺城です!

今年のお城巡りの記事もこれで最後かなぁ。。。

まだ訪れていないお城が沢山あります!

お勧めのお城があれば教えて下さいね~!!


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

姫路城には姫路城大発見と言うアプリがあり

敷地内のARマークの所にスマホをかざすと

その情報が見られます。

歴代城主も驚いていることでしょうね~(#^^#)

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆  

Fumie記














[ 2017/11/03 13:28 ] 見聞録!! | TB(0) | CM(0)

いざ彦根城!

国宝彦根城!!
彦根城④
堂々たる美しい天守です。

表門から入城!!
彦根城入口


隣の彦根城博物館でひこにゃんがお出迎えしてくれましたヽ(´∀`)ノ

写真はないですがギャラリーが一杯いてすごく混雑してました。
ひこにゃん


重要文化財の天秤櫓です。

天秤櫓
この天秤櫓は天秤のような形状から天秤櫓と呼ばれ
我が国の城郭の中ではこの形状は彦根城のみです。

IMG_3183.jpg 

敵が責めてきた時にはこの橋を落とすなんてなんて捨て身なんでしょ(笑)


途中の石垣に見とれます。
彦根城⑥


またまた重要文化財の太鼓門櫓へ
天守を守る最後の砦です。
太鼓門櫓
もちろん登城の際にも

太鼓を鳴らして合図をしていたそうです。

今で言うインターホンか(^-^)/


いざ天守へ。。。
IMG_2705彦根城②


天守は多彩な破風で華やかな三層三階。
三階三重

所々に曲がった木材を組み合わせた梁が支えています。
彦根城内部②

急な階段。
いつも思うけどコケる人いたでしょうね!

彦根城内部
外観も内部も変化に富んだ美しい姿です。

しかし!!

天守も素晴らしかったけれどそれ以上に感激したのは

天守(本丸)から黒門に向かう途中に設けられた

井戸曲輪(いどくるわ)です。
彦根城 井戸曲輪
この曲輪(石垣)は彦根城の中で最も高く堅牢な構造になって居り
高石垣②

高くそびえる石垣は彦根城の見所の一つです。。。圧巻されました。
彦根城 高石垣

高さ20m近い高石垣が続きます。

高石垣③

高石垣④


こちらの石垣の石は丸みを帯びていました。
彦根城 石

築城当時のままでしょうかねぇ!!

明治維新に彦根城は解体されそうになったようですが 

大隅重信が視察に来た際にその消失を惜しみ

明治天皇に願い出て解体を免れたようです。


よくぞ残しておいて下さいました。

ああ本当にイイものを見せてもらいました(笑)
井伊直政像

(彦根駅前 井伊直政公銅像)



彦根城は関ケ原の戦後、家康公の命により直政公の長男の井伊直継公が築城し

ずっと井伊家の居城として彦根の街のシンボルになっています。

      Fumie記


[ 2017/09/30 18:16 ] 見聞録!! | TB(0) | CM(0)